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天上の恋 槙有恒さんの話

天上の恋 槙有恒さんの話




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『こんな言葉を使ってもいいものなら、山はわたしの恋人でし

ょう。ただ何がなしにひきつけられるのです。』

 峨々たる峰を攀じ、底知れぬ谷を渡るときの、勇敢な、剛毅

な、選ばれたる若者とは、似てもつかぬ優しい物腰で、処女の

ように含羞みながら、槙有恒さんは話すのでした。

『欧州へ行って見ますと、もう八十に手のとどく老人で、山登りをする人がざらにあ

ります。日本でも、小島烏水さんや、小暮理太郎さん、ああした大先輩がお居でです

わたしのようなまだ駈け出しのものが、一人前のつもりで登山のお話しをするのは、ちと何うも……。』

 と、つけ足しの謙遜ではなく、ほんとうに気恥ずかしいと云った様子でした。

 なるほど、恋は曲者である。羅綺にたえぬ乙女ですら、時には、笑って白匁を踏む。槙さんの山登りは

其云う通り恋かも知れぬ。アルプスの難峰を踏破して、英国の山岳会員に推されたのは、まさに恋の勝利

だ。

            △   ▲

『でも、あの立山で吹雪に逢った時は、もうこれで死ぬかと思いました。あの時は、一緒に行った板倉さ

んが、何うにも身動きが出来なくなって、見す見す死んで行くのを、傍に居ながら、何うとも介抱するこ

とも出来なかったのです。わたしもここで、雪の中に葬られるのかと覚悟しました……。』

 無情な立山は、慕い寄る二人の若者を、邪慳にも吹雪を飛ばしてあたら凍死させようとした。わが槙さ

んの恋人は、二人の若者の命がほしかったのでしょう。一人は凍えて、若い命を無情に恋人に捧げました。



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