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整容 山本久栄さんの話

整容 山本久栄さんの話





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 もしもこの人が男であったならば、と第一

印象はすぐここに来る、男でも女のような生

やさしいのがあり、女でも男のような人が居

る世の中に、殊更こんなことを云はなくっても、整容大学園の山本久栄さんはお歳より七ツ八ツは確かに

若い、成程お化粧はお手のものだから、ーーいや之は失礼……

              □   □

『ほほほ、私の戸籍調べはお人がわるい、さ、お掛けなさい、……まるで命令をされる様だ。

生れは紀州の高野山、小さい時からお猿はお友達でしたよ、ほほほほほ。だからこんなにキャッキャッとし

て居るんですよ。と女史は心持ち、ひき緊まった容ちになる。

             □    □

ほんとうに種んなことをやって参りましたよ、十四の年に国の高野山を飛び出しまして、大阪の船場のさ

る商家に女中奉公に住込んだが、毎日其処のお嬢さんが中之島の女学校に通って居るのを小共心に、いつ

迄もお供や送り迎いに貴い時間を費やしては、末がつまらない、同じ女に生れて……とむらむらと反抗心が

起ったんです、それからはお嬢さんの教科書を借りては勉強をする、だんだん学問が面白くなって来る、

学校に入り度くなる、そこで、二年の編入試験を受けて見ると、見事にパスしたので。親戚に泣きついて

居候のようになって、暫く卒業する迄はそれはそれは人に知れない苦労で御座いましたよ。

 さて学校を出て間もなく……結婚して見ると、何となく寂しい、そして家庭の犠牲になったような気が

してつまらない、どうにかして家事にばかり囚われずに大きな事をして身度い、と頭の中は始終向上の焔に

燃えていた。

              □   □


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