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電車を睨む 人力車の運命

電車を睨む 人力車の運命






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 芸妓を軽そうに挽く車は陽気で威勢が宜い。何う考えても芸妓が自転車で廻る

日は来ないから玆にも人力車楽観の未来はある……。夫れに引かれて辻車のさびれは、昔の船着場

の栄えが蒸汽船に掻廻されたのと軌を一にする。

 夕刊を読み乍ら、電車の音毎に止めて睨み、自動車の響きに胸を痛むる車夫は語る。

 『斯う自動車が殖えちゃ飯の食い上げよ、之で息が通っているのが不思議さ。日に六十銭位いの時も

 あるよ。は、は、俺の国かね。越後の新潟。名まで訊くのか堀江九作と云うよ。もう東京へ来てから三

 十年にもなるがね』

               ◇

 国を出たのは十九の年、十五夜の月が出て居たのを今でも夢のように想い出すそうである。その頃は何

でも東京へ来たくって来たくって我慢が出来なかったと云う。

 桂庵の周旋で神田の豆屋に三ヶ月、本郷追分の米屋へ三ヶ月、濱町のはたご屋に一週間と転々し、それ

から神田の伊勢屋と云う汁粉屋で三年と七ヶ月辛抱した(人間が甘いかれネ、と堀江君は笑った)今考える

とあの頃、何か手に職でもつけて置きたかった、と感慨無量の体。

               ◇


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